幼少期

1995年(平成7年)、2月6日に高岡市民病院にて生まれる。 鉄道が大好きで、いつも高岡駅に電車を見に行っていました。 一番好きだったのは、大阪から北海道まで走っていた寝台特急トワイライトエクスプレス。 大人になったら乗りたいと思っているうちになくなってしまい、残念です・・

小学校

小学校時代に柔道、水泳、ピアノなど、いろいろな習い事をさせてもらったおかげで基礎体力がつき、運動、音楽への幅広い知識が身に付きました。 時には失敗をして涙することもありましたが、悔しさをバネに、計画を立てて実行し改善するという計画性・積極性を養いました。これらの経験は、私の人生において大いに役立っています。

中学校

小学校高学年の頃から草野球にハマりはじめ、野球部に入部。レギュラーではありませんでしたが、 そんな中でも練習に励み、試合の際に得意のバントでチームに貢献できたときには大きな達成感がありました。 部活動では、一人一人に大切な役割があることとチームプレーの奥深さを学びました。また、生涯におけるかけがえのない友人たちにも出会えました。

高校

高校では引き続き野球の練習に励みましたが全く練習についていけず、同時に勉強でもつまづいたことから、初めて大きな挫折を味わいました。 すべてに自信がなくなっていました。 しかし、自分にできることを頑張ろうと思い直し、腐らずに部活動でも勉強でも努力を続けました。 そのうち、先輩や同期から少しずつ認めてもらえるようになり、部活でも勉強でもいい結果が出るようになりました。 そしてこの頃、好きだった日本史の近現代史を勉強するうちに、政治に関心を持つようになりました。

大学時代

地元ではできない経験を求めて京都の立命館大学に進学。政治の師である村山祥栄京都市議に出会い、彼が立ち上げた“地域政党 京都党”の「国の意向に左右されない、地域密着の政治を行う政治家が必要だ」という考えに深く共感しました。2015年の統一地方選挙では、新人候補の事務所に住み込みで半年間張りつき、体当たりで政治に関わりました。結果、新人候補は落選。自分たちが正しいと思っていることを真剣に主張し続けたことに悔いはないものの、京都市民に受け入れてもらえなかった絶望感から民主主義はなんと難しいのかと肌で実感しました

大学時代

政治活動の傍ら、大学では地方財政を専門とする平岡和久先生のゼミに入り、自治体の公共施設マネジメントについての研究をグループで行いました。 長野県や宮城県にフィールドワークに行き、高岡とは違う地方を見て回れたことはとてもいい経験になっています。
大学4年時には、高校の野球部のチームメイトと、就職活動そっちのけで漫才に没頭。 初めてM-1グランプリに出場したり、アマチュアの大会で優勝できたことはいい思い出です。今でも漫才を見るのは大好きで、毎年のM-1グランプリは一番の楽しみです。

会社員時代

淡路島での地方創生事業に興味を持ち、人材大手パソナグループに入社。 入社早々から、アニメパーク「ニジゲンノモリ」の立ち上げに携わったり、子会社が保有する農場で大学生に1週間農業体験を提供する「農業インターン」の実施に奔走しました。 仕事以外では、和太鼓を先輩社員や同期と習い地域のイベントで演奏するなど、本当に多くの経験をさせてもらいました。短い期間ではありましたが、価値観が大きく広がった期間でした。 尊敬できる先輩や、仲のいい同期、良い後輩に囲まれて順調な社会人生活でしたが、 政治の師である村山祥栄京都市議から「秘書として帰ってこないか」とお声かけをいただき、悩んだ末もう一度情熱的に政治に取り組みたいと思い、秘書として京都に戻ることを決意しました。

村山祥栄事務所秘書時代

学生時代からお世話になっている村山市議の事務所にて、議員活動のバックアップだけでなく、2度にわたる選挙活動のサポートを携わりました。 地域のお年寄りから、子育て世代の若い方、地元企業の経営者、昔の自分のような大学生のスタッフなど幅広い方々と関わることができ、多くのことを学ばせていただきました。 ご支援くださる市民の皆様の「京都市政を良くしたい」という熱い想いに何度も心を打たれ、期待してくださる方が一人でもいる以上、死ぬ気で取り組まなければならないと自分を奮い立たせました。 人の熱量がまわりを動かし、政治を変えていくのをこの目で見ることができた貴重な経験でした。
秘書として色々な地域の方を訪ねてまわるうちに、地域には、自分では気づくことのできない問題がたくさんあることを学びました。 様々な世代、様々な立場があり、困っている人の視点に立たなければわからないことがたくさんあります。 当たり前のことではありますが、一方からの見方ではなく、多くの視点の声を聞くことが本当に重要であると実感しました。 そして、地域で起こる問題は民間事業だけでは解決できないものが多く、行政の重要性を改めて強く感じました。

現在

2021年1月から高岡市にUターン。地域の中にどんな課題があるのかを知るため、知り合いの富山型デイサービス施設でボランティアを始める。 ボランティア活動を通して出会う方々から、多くのことを学びつつ、「人」のネットワークによって地域が支えられていると実感する日々。 私の予想以上に高岡市が数多くの問題を抱えていることを、地元民でありながら今になって知りました。 障害をもつ子どもの支援がまだまだ足りないこと、不登校のこどもの居場所が最近までなかったこと、生活が大変で家ではご飯が思う存分食べられない育ち盛りの子がいること。 このような課題を解決するためには、市政を変えるしかない! 私が今まで経験してきたこと、ボランティアを通して目にしたこと聞いたこと、それらを生かして高岡市をよりよくしていかなければと強く想いました。